はじまりの十月

 二年ぶりの更新がこれとは。。。

 椎間板ヘルニアになりました。L5/S1です。なってしまったものは仕方がない。ので、せっかくなのでこれからの人達用にまとめます。正直半年も前のことなので忘れてしまっていることも多いのであしからず。これから継ぎ足していきます。

 二十九歳になるまで大病は一度も患ったことはない。そりゃ確かに片頭痛はあるわ、お腹は下しやすいし、顎関節症もある。それでも手術が必要なほどの病気にはなったことがない。たしかに体は硬くて親父が腰をよくぎっくり腰をやっていたから自分も気をつけなきゃとは思っていた。それぐらいだった。
 最初に感じたのはロードバイクで富山から高山まで走破したときからだった。かねてから国道41号の終点に住んでいる自分としては"この餅をまっすぐに行けば実家にたどり着く"という事実からぜひ自分の足で走り抜きたいと思っていた。(より正確に言えば近くに行くだけで町内に擦りもしない。たどり着くのは隣町だ)
 距離にしてして二百キロ。琵琶湖一周程度だけれど、きつい山越えが最低二カ所ある。一つは神岡の峠と高山と下呂の間の宮峠。この二つがあるからこそ自分のような貧脚ライダーではとうてい一日では走破できないのは百も承知。
 どこで一泊するのか、富山から高山まで行くにも越中西街道と東街道と二つありどちらを選択するのか。
 時は八月。外は富山といえども命の危険を感じるほどの暑さ。そのため室内トレーナーを買い、仕事が終わってからも一日一時間程度を目安に室内で漕いでいた。もちろん室内のローラー台とは違うことはわかっていた。ただ、漕ぐという日常生活にはない動きを体に染みこますためだ。
 決行は十月一日。
※ここから先はロードバイク日記になってしまうので割愛します。暇だったらアップしてみます。

さて、いろいろあって帰っては来ましたが、数日たってもどうにも右足のふくらはぎの後ろが痛い。でも、最初はおかしいとは思わなかった。なぜなら、いつもスキーをすると右ふくらはぎの後ろが痛くなるのだ! 姿勢が悪くてどうしてもそうなってしまい、スキー後は入念なストレッチをすることで毎日のスキーでも問題ないようになっていた。今回もこれだ。と、そのときは思っていた。

ちなみに、十月八日の関の刃物つまりで牛刀とペティナイフ、あとはパン切り包丁と三本買ったり、十月九日の高山祭りも行ってきた。二日間で結構歩いた。違和感はあったけど、とりあえず歩けるから歩いた。今考えればこれは結構な悪手だったかなと思っている。。。


 ところが。
 
 
 あまりにも治らないので十月十五日日曜日(だったはず)に富山県で日曜日もやっている整形外科を見つけたので早速チェックをするとなんと今日の当直の先生は膝が専門の先生だと知る。これは僥倖。と言わんばかりに早速行ってみるとこにする。
 空港のロビーを思わせる待合室で待っていると、肩に手をまわしてしかめっ面の人や草野球をやってましたといわんばかりのおじさんがストレッチャーで運び込まれてくる。なるほどこの病院はそういう病院なのかと妙に納得した。
 さて、一時間も過ぎてキンドルで買いあさったキンドル本も読み飽きた頃にようやく呼ばれた。

 先生は僕が入ってくる姿を見ながら痛そうだねと一言。ベッドに寝っ転がっていろいろな触診をして、次の言葉が
「うん、椎間板ヘルニアだね。間違いないよ。MRIの予約しておくね」

 この一言が半年以上に及ぶ椎間板ヘルニアとの闘いのゴングだった。