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チベットで騒乱が起こった。そう知ったのは、ウルムチから帰ってきて北京のホテルにいた時だった。またこのガイドさん。日本語が半分ぐらいしか伝わらず、不本意な形で200元(日本円では3000円くらい、日本人の感覚で言うと15000円ぐらいか)
を渡して、輪を掛けるように何か予定があったのか僕たちをロビーにほおり投げるとそのまま明日の時間だけ言って逃げるように帰って行った。
"僕たちの夕食は?"
薄々とだが感じていたが、やっぱりガイドは完全に僕たちの夕食なんぞ忘れていた。今さら、抗議の電話を掛けるにはちょっと電話代がもったいない。毎日毎日中華料理にも飽きていた。
 さらに北京とは徹底的に相性が悪い僕と先輩。去年のチベットから帰ってきたときは二時間近く黄砂の風が吹く北京市を散々歩き回り、今年もその二の舞になるのではないかという潜在的な恐怖とともに、ちょうど全人代が開催中で至る所に警官ら公安がいてどこか物々しい。西安敦煌ウルムチと行ってきたせいか、都会に見えて田舎である北京。しかも、三十分も市内の窓を全開にしたタクシーに乗れば、喉を痛めるという大気汚染全開なこの街に繰り出す気にはさらさらなれなかった。
 
 クラクションの音が下界から途切れることなく鳴り響いている。クラクションが禁止になったとはいえここは中国、ナニがあってもおかしくない。むしろそれが中国だ。陽はすでに傾き始めていて部屋の中はうす暗くなっている。先輩は何をしているのかこちらからではよく見えない。旅行会社が気を利かせたのか、それとも部屋が無かったのかは定かではないが一週間前に泊まったときよりもう一部屋多い、ワンランクグレードアップした部屋であった。
 Yahooメールを確認するか。そう思って、アドレスを叩く。今回パソコンを持ってきたのは大正解であった。ウルムチで国際電話をどうしても掛けたい時にデホジットで500元と言われたときはびっくりした。あの時はskypeとクレジットカードを持っていて良かったと思えると心から思った。
 中国のホテルのネット回線は早くない。大抵どこでも1Mbpsぐらいだ。ただ、ウルムチでもそれぐらい出たのはさすがに驚いたが。
 自分の家が光回線だったのが悔やまれる。人間は質を上げることは喜んでも、下げることは絶対に良しとしない。数秒待たされてから、Yahooのトップページは表示された。
 ナニ?
 数時間ぶりに声帯が仕事をしたせいか、その声は一言一言が正確ではなかっただろう。続けて、脳は声帯に仕事をしろと押し込んできた。"チベットで暴動?"
 最初は意味がわからなかった。
 なぜ、今の時期によりによってチベットが暴動を起こすんだ? と、本当にわからなかった。まだまだ自分の知識が浅いことは十分承知しているが、チベットは21世紀に入った頃からあまり強硬な独立を望んでいない(http://www.tibethouse.jp/dalai_lama/message/071017_us.html)、ダライ・ラマ14世もオリンピックにネガティブな発言をしていなかったはず。この二点から考えてもどうしてもチベットが抗議活動を展開するとは考えにくかった。
 むしろ、ウルムチや新疆の方が強硬な独立運動があるとさえ思っていたのだ(実は、この北京に帰ってくる二日前に同じ航路、同じ時間帯で自爆テロ未遂があった)
 
 今日はこれくらいでまた別の日にこの続きを書きたいと思う。当時書いたチベット旅行記を交えながら。。。

 最後になりましたが、ネット上で自分の意見を発するというのは十年ぶりということでいささか緊張しておりますが、これからもできる限り"濃い"更新をしたいと思います。
 拙い文章ではあると思いますが、今後ともよろしくお願いいたしますm(__)m

なるひよ