航空機事故

今週の一冊
・航空機事故50年史 第一人者がはじめてすべてを明かす 加藤寛一郎 講談社プラスアルファ文庫

 航空機についてはなぜか事故などと単語が付いていると、ついつい買ってしまう。航空部でこんな本を読んでいるといったら、苦笑気味に縁起の悪いものを持ってくるなと言われたが、本当に飛行機に関わる者が航空機事故から遠いものと考えていいのだろうか?
 たしかに、飛行機は昔よりも遥かに安全になり、他の交通機関よりも安全になっているだろう。だが、それでも事故は起こってしまう。僕が航空機事故にひかれるというのは、その事故に徹底的に捜査、検証がなされていて、その一つ一つの事故の結論には航空機に関わる者にって非常に大きな意味を与えるからだと思う。
 航空機事故に関しては他の本や失敗についての本は数冊読んでるが、今までの結論としては、"人間はミスをするものである"ということだ。それも、どれほど厳しい網のような管理されていてもまるで、日常で生活して塩と砂糖を間違えてしまうようにだ。航空機事故の約半分が搭乗員の操作によるものだとこの本書いてある。

 ここからは持論である。
 整備ミスを"構造的もしくは設計段階からの欠陥"と"単純な整備・修理のミス"と分けるなら話は別になるだろう。単純に整備ミス、と分ける理由というのは、簡単に既知であった問題に対して手を抜いたり、ポンドとキロを間違えたりである。(確かに、元をたどればすべては人間が関わってくるので人間のミスであるが、ここでは扱わない。現場レベルでのミスについてのみ言及する)

 では、おそらく航空機事故の大部分を占めるであろう単純ミスを防ぐにはどうしたらよいか?あなたも旅行に行くときに何度も何度も見直したのにもかかわらずにも、何かを忘れたことはないだろうか。これは、すでに”既にもう持っているはずだ”という意識から気づかないのである。
 ある時、ASK23の耐空検査を通そうと、木曽川にいた時の話である。その時にM整備士の整備講義が開催された。その時の話であるが、こんな話をされたのだ。
”あるグライダーが飛んでいる時にバッテリーの留め具が外れ、旋回中にバッテリーが転がり、あろうことか操縦桿に挟まってしまった。当然、そのグライダーは落ちてしまった”
 と、これは何が悪いのか? そう整備士は言い、何故起こってしまったのか、そしてこういった事故を未然に防ぐにはどうしたらよいか参加していた全員に聞き始めた。
 グライダーの搭乗前には幾度ものチェックがある。組み立て時はもちろんのこと、一発目前の教官によるチェック、地上に降りるたびのチェック。しかしながら、これだけのチェックがあっても事故は起こってしまった。留め具の話だけでなく、エルロン両翼、または片翼が接続されていなかったという事故も以前あったようだ。
 さすがにライセンサーや教証、ソロにでている人はすごい、と思ったが僕が驚いたのは、他の航空部部員の意見であった。”たくさんのチェック体制があるから大丈夫だ”や”チェック回数を増やせばいい”などという意見が数回あった。
 本当にそれだけで事故を無くすことができるのか? 航空機事故の歴史を紐解けば、あれだけ厳重にチェックされているはずなのに、事故は度々繰り返されている。これは、単にミスという単語や、運命だったという一言で済ませてしまったいい者であろうか。
 人はなんらかのミスをするものである。例えば、高度に管理されている原子力発電所でもそうだ。

 事故とはどういう時に起こるものか? 事故は忘れたころにやってくる。という格言がある。
 事故が起きるか、起きないかという境目は非常に曖昧ではないだろうか。例えば、翼を支えるピンが入っていなかったとして、誰かが気づいた。もし、ここで誰かが見落としたり、正確に報告が伝わらなかったら、事故起こる可能性は飛躍的に高くなる。
 しかし、今回は幸運にも誰かが気が付き、正確な対処ができた。そうなれば、責任者が小言を言われるだけで済むかもしれない。[ピンなんぞが入っていなかったら絶対に緊急ミーティングであろうが]
 確かに形という点においては事故は発生していない。が、これはれっきとしたインシデント(事故)である。 事故を防ぐには、その意識を高めるほかに、より扱いやすいシステムを作るしかない。

 そこで、僕は提言したい。
 事故というのは形として発生することだけが事故ではない。事故というのは、”事故なんて起こらない”そう思ったこと自体が事故なのである。

その他、これから読もうと思う本。。。 
・セイラー教授の行動経済学入門 Richard H.Thaler 篠原勝 訳 ダイヤモンド社
行動経済学 経済は「感情」で動いている 友野典男 光文社新書 
・シグマベスト 理解しやすい政治・経済 松本保美 編 文英堂