ふと思って~二眼レフの想い~


 どうして二眼レフなのか?
 初めて私と会い、その愛機を見ると驚きと共に皆その言葉を発する。私は、条件反射である言葉を発する。
"おもしろいからだよ"
 大抵、疑問を発する人というのはデジタルカメラを携えて、幾本もの高性能レンズをぶら下げている。私もデジタルカメラを持っているし、いつもはデジタルカメラを使っている。
 それでも、どうして二眼レフなのか?
 そもそも、カメラであることを知らない人や、カメラではなく骨董品、そうガラスケースに大事にしまって飾っておくものと思っている人もいる。
 別に、その人たちに悪態や何か特別な感情を抱くわけではない。私だって持とうと思えばデジタル一眼ぐらいは持てる。
 だが、私にはどうも納得がいかない。普通のカメラだと長方形のフォーマットである意味、それで写真のアングルというものは決まってしまう。だが、この二眼レフというのは、正方形のフォーマットを持つ。これは、写真を撮るときにある事を引き起こす。
 どうしたら、いいのか。二眼レフに映るその画というのは、鏡像となっており、全てが反転している姿になる。そんな中、写真を紙にしたときの事をも考えねばならない。正方形で写真を出すことはできず、必ずトリミングを考えねばならないからだ。
 長方形のフォーマットを離れて、基本的な制約からは解放されたものの、その先は無限大に広がる宇宙がある。
 デジタルカメラと違って、十二枚しか撮れない。失敗は許されない。デジタルカメラなら数勝負だ。だめなら消せばいい。記憶メディアが安くなって以来既にデジタルカメラは数勝負になっている気がする。
 そんな中たった一枚にアングル、トリミングを考える。二眼レフという名の通り、見ている画がフィルムに焼きつくわけではない。目の前に映る鏡像に騙されないようにシャッタースピードと露出を決める。露出計などはそんなものはない。全ては自分の勘と経験だ。
 この二眼レフをくれたカメラ屋の店長はある時、こう言った。シャッタースピードや露出がわかるようになるときがくる。二眼レフを貰ってすぐにその言葉を聞いたが最初はやっぱり全くわからなかった。
 それがどうだ。一眼レフを長いとやってきたが、やっぱりわからなかった。二眼レフを触っておぼろげながらわかるようになった。
 新しいモノが全ていいわけではない。古いものが全ていいわけじゃない。自分にとって一番いいものをこれから使っていきたい。